Ikuya Takahashi

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誤解×誤解=理解 ―The Culture Map by Erin Meyerを読んで―

昨年初めてワシントンD.C.を訪れた。その際恩師に紹介いただき、世界銀行の方にワシントンの本社でお会いすることができた。全てのお話が興味深く、大きな刺激をいただいた。最も勉強になったのは、多国籍の人達のマネジメントの仕方であった。お会いした方はプロジェクトのリーダーをされており、色々な国々の方との付き合い方の難しさ、奥深さを語ってくれた。その方にお勧めしていただいた一冊の本がErin Meyer氏のThe Culture Mapである。

この本の要諦は、文化的なバックグランドに応じて人との接し方、マネジメントの仕方を変えて行かねばならないということ。内容が素晴らしかったので、マイヤー氏本人を世界銀行に招待してワークショップを開かれたとのことであった。
 

 
帰国後、東京の丸善で早速本を購入。ビジネス書のセクションに平積みされており、ベストセラーになっていた。自宅に帰ってから読み始めたが、これが面白い!英語も平易で読みやすく、一気呵成に読み終えた。
 

 
著者はアメリカ人でフランスの有名なビジネススクールINSEADで教鞭を取る。一番印象に残ったのは、アメリカ人の上司によるフランス人の部下のマネジメントの例である。この本によると、アメリカでは、本当に重要なことは、最後の方でさらっと述べるというのである。例えばそれがその人に直して欲しいマイナスの点であるならば、より一層気を遣って、オブラートに包んで最後に言わなければならない。フランスでは大事なことは最初に述べる。この本では、異文化の差異による誤解の逸話として、フランス人の部下がアメリカ人の上司に褒めちぎられ、当然自分は素晴らしい業績を上げていると思っていたが、実際は違ったという話が登場する。しかし、アメリカ人の上司に言わせればまだ本題にさえ入っていなかったのである。


この本を読了して思い出したのは、個人的な苦い体験である。仕事柄アメリカ人の同僚も多くいる。前職では、多国籍の人達のマネジメントにも携わっていたことがある。一度、アメリカ人の同僚がミスをしたことがあった。その際、私はアメリカというのは直接的なものの言い方を好むのだろうという憶測に基づいて、マネジメントとして、彼の間違いをメールでストレートに指摘した。婉曲的で、遠回しな表現一切なしである。その後その当人から直接謝罪はあったが、個人的に話があるという。そこで付いていってみると、彼は神妙な面持ちでこう言う。「僕がしたことは間違いなく悪いことだ。ただ、あのような直接的な非難は今までの人生で受けたことがない。ショックだった。アメリカでは決してああいうものの言い方はしない」。その時の体験は今でも鮮明に覚えているが、この本を読んで、すとんと納得がいった気がした。
 

 
その後、気の置けないアメリカ人の同僚にこのことを話すと、アメリカ人は本当におだてられたり、褒められたりすることに慣れているという。そういえば、アメリカに行った時、ツアーに参加すると、ツアーガイドは、質問をした人に対して、That’s a good question! とオーバーリアクション気味に褒めちぎっていたことを思い出した。質問の中身ではなく、質問したこと自体が誉められるべきことなのだろう。
 

 
一方、フランスの一般的なテストの採点方法は100点満点ではなく、20点満点である。パスするためには半分の10点さえ取れれば良い。14点(100点であれば70点)を取ればもう万々歳である。そもそもデフォルトの状態で、自らに厳しいので、早く悪いところを教えて欲しいという思いもうなづける。イギリスに留学していた時に、何人かのイタリア人の友人がイギリスの採点基準が厳しすぎると文句を言っていたことを思い出す。イタリアは自国では非常に甘い採点基準になっているらしい。
 

 
十把一絡げにフランス人は〜だ、アメリカ人とは〜だと一般化するのはもちろん間違っている。ただ、メイヤー氏が述べるように、国毎に価値観が違うのだという前提に立って物事を進めていくことが肝要だというのはまさに同感である。
 

 
ドイツの銀行で長年要職に就かれている方に、多国籍の人達と仕事をしていく上で気をつけていることをお聞きしたことがある。その答えは秀逸であった。「相手と私の常識が違うという前提に立ち、背景や質問を丁寧にする。これに尽きる」と。人間は、相手と自分の常識が同じであるという前提に立って話をしてしまいがちだ。そして自分の価値観で全く違う価値観で生きている人を非難してしまう。自分自身様々な苦い体験を積み重ねた結果、上記のアドバイスの重要さは身に染みて理解しているつもりだ。これからもこのアドバイスを自分の金科玉条にしたい。
 

 
人間同士のやり取りであれば誤解は必ずある。それは母国語ですら言えることは妻とのやり取りで日々嫌というほど感じている。外国語であれば、違う文化圏で育ったものの対話であれば、尚更だ。ただ、誤解は必ずしもマイナスなものではない。時として大きなマイナスはもう一つのマイナスとかけ合わさって、とてつもなく大きなプラスとなるのだと思う。異文化理解には常に誤解が付き纏う。が、それは理解へ辿り着くための大きな一歩なのだろう。
 



 
「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」(村上春樹『スプートニクの恋人』)
 

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