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『南洋通信』📚by 中島敦

中島敦『南洋通信』


中島敦は『山月記』で有名である。先日授業で『名人伝』を扱い、中島の人生に興味を持った。中国古典への造詣が深く、横浜の女学校で国語の先生をしていたことや、33歳という若さで夭折したこと以外、詳しくは知らなかった。彼の人生、また20足らずではあるが、天才を感じるには十分の作品群を紐解いていくと、様々なものが見えてきた。


父親も漢学の先生をしていた関係で、十代の日々をソウル、大連で数年過ごす。その体験に基づいて作品も書いている。また、晩年、南洋群島にも9ヶ月滞在することになる。先日偶然書店で見かけたのが今日紹介する本である。その名も『南洋通信』。『南東譚』、『環礁』という寓話及び奇譚集、そして家族との書簡集から成っている。東京大学国文科を卒業後、横浜高等女学校にて国語教師として7年教鞭を執る。その後パラオ南洋庁国語編修書記として日本政府から南洋に派遣されることになる。結局1年も経たずに持病の喘息をこじらせ、帰国。最後は肺炎が原因で33歳という若さで一生を終えることになる。


個人的にこの本で最も惹かれたのは、9ヶ月に渡る家族との書簡集。父・田人、妻・たか、長男・桓(たけし)、次男・格(のぼる)との手紙のやり取りを通し、中島の苦悩、苦しみ、葛藤、優しさ、家族への愛と様々な感情の錯綜が見て取れる。中国古典、西洋哲学を修めた碩学の中島敦ではない、家庭人としての、また、父親としての一面に触れ、考えさせられるところが多々あった。妻が使用した漢字の誤用を嗜めたり、息子の日本語の間違いを指摘するなど、漢学者としての中島の一面も健在で興味深い。


何より、第一次世界大戦後日本の領土となったパラオやサイパンなどの南洋諸島における当時の国語教育の実態、その地域の風土や風習、全て新鮮で、これらの島を訪れたくなった。何故中島は家族を残してまで遥か遠い南洋の地まで赴くことを選んだのか。この本に収められている短編の中の一節を引用する。「お前が南方に期待していたものは、こんな無為と倦怠とではなかった筈だ。それは新しい未知の環境の中に己を投出して、己の中にあって未だ己の知らないでいる力を存分に試みることだったのではないのか」


この言葉は今の自分に刺さった。しっかり心に刻んでおこう。


書簡集から印象に残った言葉を引用する。


「桓!桓!丈夫にそだってくれ、頭なんか、ニブイ方がいい。ただ丈夫でスナオな人間になってくれ。そして格と仲良くしてくれ」

「南洋群島の群の字を郡とまちがえてはダメ。群だよ」

「さて、今度旅行して見て、土人の教科書編纂という仕事の、無意味さがはっきり判って来た。土人を幸福にしてやるためには、もっともっと大事なことが沢山ある。教科書なんか、末の末の、実に小さなことだ」

「子供は叱るばかりじゃ仕方がない。将来その子の性質に適した方面に伸びて行くように、その方に興味を持つように導いてやらなければならない」

「今年の七月以来、おれはオレでなくなった。本当にそうなんだよ。昔のオレとは、まるで違う、ヘンなものになっちまった。昔の誇も自尊心も、昔の歓びもおしゃべりも滑稽さも、笑いも、今迄勉強して来た色々な修業も、みんなみんな失くして了ったんだ。ホントにオレはオレではない。お前たちのよく知っている中島敦じゃない。ヘンなオカシナ、何時も沈んだ、イヤな野郎になり果てた」

「おとうちゃんは南洋へ来てからまだラジオを聞いたこともないし、ニュース・えいがを見たこともない。そんなものはないんだから、しかたがない。それから、おそばもおすしもケーキもバタもてんぷらもなんにもたべていないんだよ。たべたいなあ!桓、横浜はいい所だったねえ、」


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