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『物理の館物語』小川洋子

『物理の館物語』 小川洋子


小川洋子の短編『物理の館物語』を授業で扱った。小川洋子の小説は今までにいつくか読んできたが、この短編を読んで、改めて彼女の文章に惹かれた。まず何と言ってもリズムが良く、読みやすい。また、微妙な心理を繊細に切り取る。科学的な描写も彼女の文章の魅力の一つである。



この短編の主人公は編集者。退職を迎え、今まで担当してきた作家、作品に対して思いを馳せる。いわゆる敏腕、凄腕などの形容とは真逆の、非常に堅実な、控えめな編集者。


「“邪魔者になるな。” この一行を私は、編集者人生を貫く警句とした。尊敬し惚れ抜いた作家であればあるほど、無闇に近づきすぎないよう細心の注意を払い、彼らの視界の最も目立たない片隅に居場所を定めた」

その主人公が担当した記念すべき最初の作品は彼が小学生だった時に遡る。町内の人たちから変人扱いされていたある女性の作品がそれである。ふとしたことから、彼女との距離が縮まり、彼女が消え入るような声で語る、それまで聞いたことのない物語に耳を傾ける。素粒子が旅をする、という物語で、とにかくその物語を聞き漏らさないように、作家の「邪魔にならないように」書きとる。編集者としての長いキャリアを振り返り、自分のスタイルの原点はここにあったのだと回想し、物語の輪が閉じる。


「私は声にならない声で、『大丈夫です』と耳打ちする。それから以降の人生で、幾度となく繰り返すことになる言葉を口にする」

物語の構成も素晴らしいし、文章も美しい。何より、作家へのオマージュに心打たれる。

大きな作家の作品の裏にも、「大丈夫です」の一言が秘められていると思うと、作家の繊細さや脆さを考えさせられる。


「そこにじっと隠れたままでいる物語を聞き取る。お前たち凡人には何にも見えないし、聞こえないだろう?だけど作家は違う。ちゃんと分かるんだ、ここに物語が隠れてるってね。物語ってやつは恥ずかしがり屋で控えめだからね、この人ならと信頼できる作家に出会うまでは正体を現さないんだ」

作家はやはり特別な職業ですね。


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