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水村美苗 『日本語で書くということ』

『日本語が亡びるとき』で一世を風靡した水村美苗。彼女の小説も好きだが、随筆が特に魅力的だ。なんと言っても文章が素晴らしい。日本の書店でまず目に入ったのが『日本語で書くということ』と『日本語で読むということ』の赤と黄色の装丁。『日本語が亡びるとき』は緑なので、緑、赤、黄と絶妙な配色で日本を表している。『読むこと』は未読だが(これから読み始める)、『書くこと』の随筆の中には彼女がイェール大学で修士(フランス文学)をしていた時の論文もいつくか収められている。ポール・ド・マン、構造主義、ポスト構造主義など文学理論に関するものもあり、難解なところもあったが、興味深く読んだ。



特に考えさせられたのが、漱石論と谷崎論である。2人の大作家に共通して言えるのは西洋と東洋の間でもがき苦しみ、その果てに独特な新しいものを創造した点であろう。


「明治維新以降から今日にいたるまで、日本にとって意味のあることのほとんどが、「大学の外」で考えられてきたのは大学が「洋学」の場である限りにおいて当然だった。漱石が大学をやめて小説家になるという動きは、「模倣でもなければ追従でも」ない「真の日本文学」はいかに可能かという問いを問える場への移行にほかならない。」

漱石が東大の英文学の教授の職を辞したのは1907年。第一作目は美文調で書かれた『虞美人草』。漱石に言わせると失敗作で、ドイツ語に訳したいというリクエストを断ったというエピソードも書かれており、印象的である。下記の引用には国粋主義者のそれのように、並々ならぬ烈しい思いが見て取れる。


「命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやってみたい」

その思いの根底にあるのが「漢文学」を好み、「英文学」を嫌ったという「好悪」の問題であるという水村美苗の指摘も興味深い。それが職業作家としての第一作目の『虞美人草』の文体、美文調に表れている。大学=洋学、コピーである以上本当に意味のあることは生まれない、という箇所には色々考えさせられた。自戒も込め、大学教育(特に英語教育)とは何かを思った。


「明暗を執筆中の漱石が、午前中には原稿を書き上げ、午後になると漢詩をつくっていたというのはよく知られた逸話であり、漢文学と英文学の緊張関係が漱石の死ぬまで続いたことの証しとして挙げられるものである。しかし漱石はこの最後の小説の主人公の津田をすでに漢籍を読むことのできない男として設定した。」

漢文学と英文学、二つの間を常に揺れ、日本語(日本文学)とは何か、自分とは何か、日本とは何かを問い続けた作家漱石が垣間見える。


Minae Mizumura “Nihongo de Kakutoiukoto” (What it is to write in Japanese)


Mizumura is a scholar and writer, who is well-known for her essay entitled “The Fall of Language in the Age of English”. This book is also a collection of her essays which includes some of the academic essays she penned when she was studying French literature at Yale Graduate School. An essay dedicated to Paul de Man, who is a Belgian-born literary theorist and taught at Yale is also included.


Personally, I found an essay on Soseki particulary intriguing. It was in 1907 that Soseki abandoned his professor position at Tokyo Imperial University and became an exclusive novel writer for the Asahi Newspaper. According to Mizumura, this incident was symbolic. What academics were doing at universities back then were just aping of the West. Soseki in a sense left the empty world and entered another in order to work out something original and substantial, whether it was Japanese literature, Japanese language, or identity.


This essay has made me want to reread Soseki.


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