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『「終戦日記」を読む』 野坂昭如

偶然、台北の紀伊國屋で目に止まった本。一つ一つの言葉が刺さった。この本はもっと読まれるべきだ。著者は『火垂るの墓』で有名な野坂昭如。野坂は1930年生まれ、敗戦を迎えたのは15歳の時。有名、無名の人たちの日記の抜粋を軸に太平洋戦争、第二次世界大戦に向き合う。著名人の中には、永井荷風、伊藤整、渡辺一夫、藤原てい、中野重治、大佛次郎、徳川夢声、高見順などが含まれる。個人の日記から戦争の新たな一面が浮かび上がってくる。



1945年8月15日。玉音放送が流れた日。「終戦」の日である。だが、この日が日本人全員にとっての終戦の日ではなかった。


「満洲だけではない、朝鮮半島、樺太、台湾。ポツダム宣言受諾によって放棄させられた地域に暮らしていた日本人には、八月十五日は終戦じゃなく、まさしく開戦だった。沖縄は昭和二十年四月一日の米軍上陸のあと、六月二十三日には司令官が自決して、組織的戦闘は終わったが、残存部隊の抵抗もあって、正式に降伏したのは九月七日。収容所を転々としつつ、米軍の監視下、一本の樹木も失われた島に、夏の盛りを過ごす生き残りの住民たちに、八月十五日は何の日でもなかった」


「助かった人が書けるのは、自分たちは幸運だった、誰かに助けてもらった、といったことだけ。その陰で何があったのか、生き残った者は口を閉ざす。八月十五日で終り、銃口を自らに向ける敵と相対した経験のない内地の人間は書く。自分が生きるために、家族を死に追いやった覚えのない、ヤマトの住民は、戦争体験をしゃべる。語れず、書き残し得ない、満洲からの引揚物、沖縄で生き残った島民の、形をなさぬ言葉を、思わなければ、何の慰霊だろうか」


沖縄を思い出した。牛島満が自決した洞窟、摩文仁の丘、ひめゆりの塔。長野で訪れた「無言館」と松代大本営跡。中野重治が松代の象山で工事に動員されていたことをこの本を通じて初めて知った。松代大本営跡にて地元のガイドの方が高校生に説明していた言葉が忘れられない。「沖縄と長野は共通点がある。時間稼ぎをするための捨て石だった」無言館で見た戦争で死んでいった若者たちが書き残した数々の絵。声なき声が訴えかけてきた。


「ただ、人間食うことが大事と、思い知った。食うために、人間の誇りなど、なんぼのもんじゃ」


「日本人は戦争を天災の類とみなしている」


似たような言葉をつい最近聞いたような気がする。人間は、日本は、変わらない。


戦争について、人間について、日本について深く考えさせられた。お勧めの一冊です。

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