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Ikuya Takahashi

『物語を忘れた外国語』 黒田龍之介


黒田氏の随筆のファンで、いつも興味深く読んでいる。今回のエッセイ集も黒田節満載だ。文章が小気味良く、チェコ語、ロシア語、フランス語、言語学、イラン映画や台湾映画、大好きなビールと、守備範囲が広い。いくつか考えさせられた文章を抜粋したい。


「語学から文学への道を歩んでいく学習者はこれからもいるに違いない。検定試験漬けで会話至上主義の空虚な外国語環境に潤いを与えてくれるのは、誰が何といおうと物語しかないのだと、わたしは強く信じている」

本著の最も重要なメッセージはタイトルの通り。外国語学習の中に物語(小説、戯曲、映画)を入れよということだ。言語はもちろん、文法、語彙がありきではなく、その言語で書かれた文章ありきなのだから。そして、その言語が最良の形で示されているのが文学なのだから、文学が語学学習の最高のテキストになることは当然といえば当然のことなのかもしれない。大学1年生の夏、初めて洋書を読み終えた高揚感を未だに覚えている。サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』であった。それ以降、原書で色々な本をゴリゴリ読んでいったことが語学力の上達に役立ったことは間違いない。外国語学習の土台は多読である。ロンブ・カトーも「外国語ができるレベルというのは、その言語で書かれた小説を楽しく読むことのできるレベル」と言っていたような。


「自分が生まれる以前の事柄について知識があるのは教養だと思う」
「生まれる前と並んで、自分が身を置いていない地域の知識があることも教養ではないか。日本で生まれ育ち、留学経験のないわたしでも、本などを通して旧ソ連やチェコスロバキア、ユーゴスラビアの事情を学ぶことはできる」

歴史と異国、異文化に対する知識こそが教養であるという定義に共感を覚えた。詰まるところ、歴史や異文化に対する理解を深めることで、自分とは違う人達の身になって考えることができるようになるのだと思う。


「原書となるとトンデモなく時間がかかる。そこがいい。外国語学習は長編小説に限る」

Les Misérablesを原書で読み終えた知人曰く、「人生の重要なこと全てが入っていた」。そんな格好いい台詞を言われてしまったら読むしかないが、、現実は埃をかぶったままの名著。。

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