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『ピンク』星野智幸

「一度回り始めたら、二度と止まってはいけない。止まったら、回る前よりも苦しくなる。楽でいたかったら、回り続けるほかない」

がむしゃらに、何も考えずに、ひたすらに回転する、という「行き止まり」、「捨て鉢」のイメージに強い共感を覚えた。


星野智幸は、1965年ロサンゼルスで生まれ、その後すぐに日本に家族と帰国。早稲田大学文芸専修科を卒業後、産経新聞の記者となる。2年半勤めた後、メキシコに数年間留学を果たす。帰国後、字幕翻訳家太田直子に師事し、メキシコ映画の翻訳に携わる。1997年、『最後の吐息』でデビュー。その後、三島賞、谷崎賞、大江健三郎賞(『俺俺』)などを受賞。スポーツや政治に関するエッセイも多い。


私が初めて星野氏の名前を知ったのは、太田直子の字幕翻訳に関するエッセイの中でである。非常に才能ある星野智幸という一人の青年が字幕翻訳の世界に入ってきた、というような趣旨の一文があって、いつか読んでみようと思っていた。今回授業で扱ったことがきっかけで彼の作品世界に触れることができたことは幸運なことであった。



この『ピンク』という作品は、2018年に出版され谷崎賞を受賞した『焔』という短編集の中に収められている一編である。物語はある年の8月6日から始まる。日本各地が猛暑に襲われ、それは8月15日まで続く。暑さから逃れようと鳥は水の中に入り、魚は飛び跳ねる。主人公の名前は七桜海(なおみ)。大学は卒業したものの、職が見つからず、自衛隊に入隊しようとしていた矢先、見るに見かねた姉が娘の子守を任せる。その娘の名前は品紅(ピンク)、2歳半。品紅(ピンク)と共に散歩に出かけた七桜海は暑さを忘れるために回転を始める。自分がつむじ風になるために。軽く、涼しくなるために。その回転現象は瞬く間に日本全国に伝播し、七桜海の家の近くの熊野神社の境内では人が溢れんばかりに押し寄せ、回転を始める。


姉の別れた夫は「一人前の男」になるために右翼団体「東亜親睦会」に所属するようになる。その右翼団体は第二次世界大戦の大東亜共栄圏や五族共和の概念を継承したような団体。「強く」なったと思い込んだ男は和服を着て元妻の前に再度現れるも、七桜海に追い返されてしまう。また、七桜海と品紅が偶然出会う風変わりな青年も以前「東亜親睦会」に所属していた経験を持っている。


回転現象と、右翼団体、過去、現在、未来が熊野(和歌山)で交差する。


七桜海は自衛隊に、姉の元夫とこの青年は右翼系団体に惹かれた。自分より大きな存在に身を委ねたいという願望が透けて見える。回転することで思考を停止することも同様であろう。最後のシーンも非常に印象的で、読者は突然タイムラインをずらされ、混乱させられる。物語が進むスピードもギアチェンジが行われ、時の進むスピードが一気に加速する。


大きな力に動かされている回転のイメージ、星野氏の世代(私の世代もその延長であると思う)が直面する閉塞感、右傾化している社会への警鐘、過去の延長線上にある現在と未来、名前が彷彿とさせるイメージ、和歌山を舞台に繰り広げられる土着性、ジェンダーに関するステレオタイプの転覆、よく練られた構成などなど、この物語の魅力は尽きない。


星野氏が大きな影響を受けたと言われているマルケスのマジックリアリズム的手法も織り交ぜられている。ファンになった。もっと彼の作品を読んでいこうと思う。


今回はこの『ピンク』の訳者であるBrian Bergstrom @asa_no_burei ともメッセージをやり取りすることができ、翻訳の裏話も聞くことができました。素晴らしい英訳と合わせて読むことをお勧めします。


「ここは生き地獄だ。まだ死んではいないけれど、実際に死ぬ以上に、死に近い状態にある。皆、責め苦を受けて、自分から逃れたいんだ。鳥は鳥をやめて魚になりたくて、魚は魚をやめて鳥に憧れて、猫は人に、人は人以外の何かになりたいんだ。それでとち狂って、もがいて、あんなふうにクルクル回ってる」

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